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中央公園の東側道路をはさんで隣の建物。
当時、ここは「合成ゴム」、「合成ゴムの社宅」と呼んでいた。
「合成ゴム」というのは社名ではなく、合成ゴムを造っている会社ということだったのだろうか?
建物は当時とは雰囲気が違う。
もう少し違った色彩(白と黒というイメージ)で、建物南側の庭ももっと広かったように思うのだが。
中央公園東側の道路。
撮影位置から北に向かって下っている。
この坂を下りつきあたるあたりで、当時は、小学校の学区が変わった。
撮影位置あたりは有秋西小学校、坂の下は有秋東小学校の学区だった。
私は有秋西小学校に通っていた。
上の写真の撮影位置とほぼ同じで、逆の方向、南側にのぼる道を撮影。
私は、写真左上に見える建物に住んでいた。
その手前、何か工事しているらしい場所は、当時、合成ゴムの独身寮だった。
ひょっとすると合成ゴムというのは記憶違いかも知れないが、独身寮だったというのは間違いないと思う。
まれに、若い男達がドンチャン騒ぎしていたのを覚えている。
今はどうなっているのか確認していない。
上の写真の建物への入口。
当時、この建物は東電社宅(東京電力の社宅)だった。
今は違うようだ。
入口が急斜面になっている。
子供の頃、この急斜面を自転車でくだって、そのまま道路に走り出る遊びが一時はやった。
道路はほとんど車が通らなかったけれど、危険な遊びだ。
現場を母親に見つかり、かなりひどく叱られた。
入口付近では、天気が良く空気のきれいな朝や夕方、富士山が見えた。
上の写真の入口を少し通り過ぎたあたりから、北側(のぼってきた道)を撮影。
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