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有秋台の中央通り。
有秋公園から通りに出て、通りの北方向を撮影。
中央通りとはいっても、写真でもわかるようにそれほど交通量は多くない。
写真左上あたりが有秋西小学校。
写真に写っている位置としては左上あたりという表現になるが、通りは撮影した方向に向かって下り坂となっている。
当時からある有秋西小学校と有秋東小学校に加えて、今は有秋南小学校があり、
中学校は姉ヶ崎まで行かなければならなかったが、有秋中学校もある。
有秋西小学校の校庭。
私はこの有秋西小学校に、一年生から四年生の途中まで在籍していた。
在学中、校庭にアスレチック遊技施設が造られた。
不要となった木製の電柱を東京電力に寄付してもらいそれを使ったと、当時学校から説明された。
そのアスレチック施設は、よく確認できなかったが、今はもう無いようだ。
有秋西小学校の校舎と体育館。
あまりはっきり覚えていないが、体育館は、私の在学中かあるいは入学直前に建てられたように記憶している。
体育館とはいったい何かという質問に、教師や親から、体育館があると雨の日でも体育の授業ができるなどと説明された。
子供だった私としては、雨の日に体育の授業をするために体育館が必要なのだと認識していた。
ところが実際体育館ができると、天気にかかわらず外が晴れていても、よく体育館で体育の授業が行われ、それが私には不思議だった。
今ならば、外でするスポーツと体育館でするスポーツがあるという、ただそれだけのことだと理解できるのだけれど。
もっとも、教師が(特に女性教師が)外より体育館の方が楽というのもあったのかも知れない。
また、当時は他の体育館など知らなかったので、かなり立派な部類に入るものだと思っていた。
これだけ立派なのだから、いつかドリフが全員集合の収録に来ると信じていた。
有秋西小学校の校庭、校庭の外に見える建物。
校庭から見える建物は、当時、三井西(みついにし)と呼んでいた。
前出の三井東と同様、三井の社宅ということで、部屋が広いと言われていた。
学校の運動会などで地区対抗リレーが行われると、三井勢は子供の数も多いため有利だった。
当時有秋台にあるのはほとんどが社宅だった。
三井の他には住友の社宅もあり、これも大規模だった。
今も社宅は多いようだが、所有会社が変わったり、一般賃貸住宅となったらしいものなど、当時とは少々違うようだ。
このページの最上部の写真と同様、有秋台の中央通り。
この写真は有秋西小学校を北から南の方向へ通り過ぎ、最初の交差点の手前で、通りの北方向を撮った写真。
この通りを撮影した方向へまっすぐ行くと、前出のプラーザにたどり着く。
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